【大晦日・大掃除 便乗記事】もったいない vs 断捨離 軍配は・・・?
さて、大晦日ということでそこに思いっきり便乗して、大晦日の大掃除を超えるレベルで掃除を語ってみたいと思います。 テーマは「もったいない」と「断捨離」です。
形あるものと形ないもの
「もったいない」って言葉も「断捨離」って言葉も流行りましたね。 どっちも評価されてたりされてなかったりしています。
時と場合によったり、形あるもの・ないものによったりすると思いますが、あなたにとってはどちらですか?
僕は形あるものについては断然「もったいない」派ですね。 ここぞという断捨離は大いにアリだと思いますが、日常的な断捨離は完全に偽善で自己満でしかないと思っています。
断捨離って気持ちで割り切って捨て去るわけですよね。 その気持ち・精神的な部分が大切なんだと。
「捨」の字が入っているから基本的に「捨てる」という意識付けが強いと思うんですが、僕は自分の身近にあるものを慈しみ活かそうとする心のほうがずっと大切だと思えます。
他人のものだってそうです。 人が大切にしているもの・してきたもの・身近にあったものを尊重する気持ちがまずは大切だと思います。
ゴミ屋敷だってまずは尊重する
極端な話になりますが、ゴミ屋敷だって・ゴミ部屋だってゴミがなくなれば解決するわけではないと思います。
ゴミのもとは外に(他に)いくらでもあるんですから、ものを集めてしまう気持ち・ゴミにしてしまう精神構造が間違いなく存在しています。
そんな精神的な部分を捨て去ることが大切ということで「断捨離」かあるんでしょう。 とても理解できる有難い考え方です。
ゴミ屋敷やゴミ部屋は言うまでもなく汚いので、そこの住人を尊重することは難しいのを越して苦痛かもしれません。 身近だと迷惑だからとにかくやめてほしいですよね。
そこまで身近だと他の方法も考えないといけないと思いますが、そこまででなければちょっとイイ考え方があります。
その住人だって元はかわいい子供だったはずだし、ゴミも元々は必要とされ歓迎される存在だった…と思うことです。 本当のことなのでムリなく思えるんじゃないでしょうか。
そうするとそういう人やゴミに対する抵抗がだいぶ減りやすくなると思います。
そう考えるのは 元ゴミ部屋の住人だった僕が今では便器を素手で磨き、他人のゴミまで掃除できるようになった理由がそこにあると思えるからです。
もったいないvs断捨離の軍配は?
僕が掃除できるようになったことに興味をもっていだだけたなら、どうぞ過去記事をご覧になってください。
まだ最近の記事ですが、書いたときはまだどうして掃除できるようになったのかわりませんでした。
ブログを書くようになって、今までより深く自分と向き合うようになってるんでしょうかね、なんか最近やたらと自分自身で悟ることが出てきています。 掃除についてもそうです。
まだまだこれから気づくことも多いと思うので、それは楽しみながらいきたいと思います♪
というわけで「もったいないvs断捨離」の軍配はドローということで😁
ではでは、それぞれのもったいない&断捨離で大掃除に望みましょう♪